川坂屋
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| 日坂宿の旅籠屋で、江戸時代の面影を遺す数少ない建物の一つ。江戸より招いた棟梁の手で、精巧な木組みと細やかな格子が造作されたといわれています。身分の高い武士などが宿泊した脇本陣格で、明治3年まで旅籠として存続しました。 |
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| 文化二年(1805)、掛川城主太田資順が市内の偕楽園に建てた由緒ある建物。後に掛川城内に移され、明治元年に川坂屋に譲られたものです。 |
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| 日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸の土蔵。郵便制度が発足すると同時に、日本最初の郵便局のひとつとなった建物です。 |
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| もっぱら庶民の泊まる旅籠でした。江戸時代そのままに、店庭、帳場、二階には宿泊のための座敷などを今も残しています。 |
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| 「枕草紙」に名前が記され“思いのままに願い事が叶う”神社として信仰されていました。ご神木の大杉は、坂上田村麻呂が植樹したと伝えられ、県の天然記念物に指定されています。例大祭は秋に行われます。 |
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| 小夜の中山峠の中腹に位置する古刹。山内一豊が関ヶ原合戦のきっかけとなる会津上杉征伐の軍を大坂より進めてきた家康をもてなした茶亭の跡や、その礼に家康が植えたとされる五葉松が残っています。また、夜泣き石伝説ゆかりのお寺としても有名です。 |
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| 「年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山」西行法師は平安時代末期の歌人。特に優れた歌のひとつがこの一首です。 |
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| 一里塚は、慶長九年(1604年)江戸幕府の命により築かれました。伊達方一里塚は、江戸より57番目の塚として設けられたものです。 |
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| 峠の名刹久延寺の周辺には、20軒ほどの茶店があったといわれています。現在は「子育て飴」で有名な「扇屋」だけが店を開いています。 |
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| その昔、妊婦が中山峠を越える途中、山賊に襲われて殺されてしまいました。亡き母のかたわらで泣いていた生まれたばかりの赤ん坊は村人に拾われましたが、母の霊はかたわらの石にのり移り、夜になると泣き出すようになったそうです。そして、その赤ん坊は立派に成長し、母の仇を討ったといわれています。現在、夜泣き石は、中山トンネルの脇に据えられており、伝説ゆかりの久延寺にも同様の石がまつられています。 |
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