行人松 (ぎょうにんまつ)
更新日:2008年7月23日
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昔、六部(ろくぶ:諸国を遍路する修業者のことで行人、行者ともいう)が、坂里にたどりつきました。 坂里にたどりついたところで病気になって旅をつづけることができなくなり、柴山神社(掛川市坂里)の東側の丘の上(後に行人塚となったところで海の見える海抜40メートルほどの山)に登って、念仏三昧の日を過ごしていました。 これを見聞きした坂里の住民は、代わる代わる食事を運んで六部をいたわったそうです。 しかし、その甲斐もむなしく七日七夜にわたって絶えなかった鈴の音と念仏の声も終わり、安らかに昇天しました。 六部を埋葬した墓印に植えた松を、だれ言うとなく「行人松」と呼ぶようになったそうです。
行人松は昭和38年頃より樹勢が衰え、枯損の運命となりました。そして、行人塚台地の赤土を公共事業に使用するため、惜しまれつつ伐採することになりました。 樹勢の衰えた晩年の行人松は、老幹たくましく形のよい老松で、根廻りは約4メートルもあり、根本には若松が生えていました。 年輪は350本は、はっきり数えられましたが、中心部の腐触と年輪の密度が多く数えられなかった分を推定すると500年位といわれています。
この松は昔、漁船が沖へ出たとき海上10里(約40キロメートル)先からも見え、船の位置や魚床を知るための目標として親しまれていました。 また、沖に行くに従い山や丘は水平線の下に沈んでしまいましたが、行人松はいつまでも水上に浮かんだように見えていましたので、漁師たちは「浮き松」とも呼んでいました。 |
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《行人松にちなんだ俚謡》 千浜男と 行人松は 色は黒いが 義はかたい 丘に樹(た)ってる行人松に さかなの住むとこ教えてもらう 沖を行く船 行人松に 頭さげさげ かじをとる |
出典 『歴史と人情の街 だいとう小事典』『みんなでつづった昔し話』 掛川市立図書館のホームページへリンク |
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